ゆるかきスト

思いついたこととか写真とか。すっきりした暮らしに憧れ中

思い出を断捨離した話

 10年弱続けて保管していた手帳を処分しました。

二冊づかいに挑戦していた頃もあり、その数は1日1ページの文庫サイズ・ウィークリータイプ合わせて10冊を超えていました。(挑戦しただけで二冊遣いの片方はほぼ白紙です。もったいない)
棚の1段を占領しており気にはなっていたものの「ずっと書いてきた思い出だから」と捨てられずにいたのですが、昨年の分を残してあとは捨て。
手帳が好きだけど思い出を捨ててしまうのに抵抗があるという方、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は、趣味で日記をつけていた私の状況と処分に至った考え方を参考程度に共有できたらと思います。
 
きっかけは祖父母の遺品整理
日記・ノート・紙類がとにかく多かった。本当に多かった!これを私も誰かにやらせるのか?と思ったときに今後保管しておくことがためらわれました。最悪読まれるし。
 
いつか役に立つ、日は来なかった
保管した手帳を見返したことはこの数年でほとんどありませんでした。
向き合わないもののためにスペースを置いておくのが勿体なく感じました。
 
昔の日記は未来の自分を助けてくれるのか
いざという時に助けてくれる可能性があるのは雑多に書かれた記憶よりも整理された記録かなと思います。
私にとって日記は自分の思いを吐露する場であり、ほぼひたすらに文字を書き連ねたもの。貼って記録するタイプの使い方ならまだしも、大量に書かれた文字の日記から必要な情報を見つけ出すのは難しいと感じました。
 
保管するほど毎日きっちり書いているわけではなかった
だいたい5月の連休で一度挫折します。今年は4月にはすでに挫折していて、イベントがあった日にチケットやプリントした写真が貼られている程度。なんで買ったんだろう
 
手書きの保管にこだわる必要性
今は書いたものに固執せずとも、普段の行動に付随して記録されているものは多いです。スマホで撮った写真を見ればいつ頃どこに行ったかはある程度の把握ができるし、SNSの投稿を見返すことで当時の感情が写真付きで蘇ったりもします。
楽しい思い出に癒されることはありますが、たぶんそれは必ずしも文字で残したものでなくてもいいかな、と思いました。
何月の何日にあれをした・これをしたとかいう情報って、そこまで正確に必要とされることは殆どないのではないかと思います。
 
楽しい記憶だけが記されているわけではない
開いてみると昔の愚痴や嫌なことも書かれていました。思い出さなくてよいことも詰まっており、若干読んだことを後悔したりも……(後悔しました) 
 
後ろを振り返るよりも今何をできるかを考えたい
いつだったかのあの時の対処法を参考にしたい時は訪れるかもしれません。でも今はもっと新しい対処法があるかもしれないし、それを調べるのも比較的容易な世の中だと思います。
新しい対処法が見つかれば自分の考え方や技術も一緒にアップデートできて一石二鳥。
必要な情報は向こうから来てくれるよ!っていう考え方も好きです。自然とほしい情報にアンテナを巡らせるから、ほしい情報に目が行きやすくなるという仕組みらしいです。 
 
所有欲
ほぼ日手帳が好きで使っていたのですが、ほぼ日といういわば“ブランドもの”の手帳を積み上げた図に満足していた節があったかもしれません。
手帳界隈でよく見かける手帳タワー。私も好きでした。例に漏れずやったこともあります。
でもこれってタワーを作れるほど手帳大好きな自分大好き!ですよね?(好きな方ごめんなさい)
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書けない日も記録になるという言葉の罠
忙しい日々が白紙で“記録”されているという手帳の文句だったけれど、白紙の記録は必要となるのかな?と思いました。今後使うことのない、分厚い白紙のノートを保管していることと同じではないかな?とも。
この考え方が好きでほぼ日手帳に惹かれたんですけど、あまりにも白紙成分が多いんです。私忙しくないのに
 
書いた時点で書きたい欲が満たされていた
好きな筆記具や好きなインクを使って文字を書くのが大好きです。日記として思いを書き綴るのも好きです。書くのが楽しい。でも保管したものを見返すことは殆どありません。
思えば私の場合、書きあがったものを読み返した時点で一度は欲が満たされていました
後から読んで面白いなと思うこともあるのですが、それは大概そのノートを使っている間、読み返しやすい間の話です。おいておく必要はあったのかな?と思いました。
 
 
色々考えてみた結果、自分には過去の手帳は必ずしも大切なものではないという結論に至りました。
今から日記をつけるとしたら、ルーズリーフやバインダー手帳に、必要な部分があればそれだけ分けて置いておける工夫をしようと思っています。
書いた場所がノートでも、必要な部分を切り取ってルーズリーフに一時的に貼っておくなどしてノート本体は処分します。分けて置いた用紙も不要になったら気軽に手放せるので。
 
書き味の良いお高いノートが好きなので今後も買うだろうとは思うのですが、思い切り書き連ねて使い切って気が済んだら欲しい部分だけを残して処分することにします。
 
捨てた後にあの情報が必要だったかも!と思っても、まさかそれで人生が傾くなんてことはないだろうし(そもそも人生が傾くレベルの重大な情報ならきちんとわけて記録・保管しておくべき)あまりに過去を完璧に管理するよりも大まかにざっくりと、嫌な過去は適当に脳内で改ざんする程度に気楽に生きたほうが精神的に楽じゃないかなぁと思いました。
 
インターネット上には様々な手帳を素敵に使いこなしていらっしゃる写真が溢れていて、私もとても憧れていました。
可愛くデコレーションして、何度も見返したくなる手帳。
作るためにマスキングテープやシールを買い集めたけれど、結局は文字で綴ることに夢中になってうまくいきませんでした。
それでもなんとなく手放すことができなくて、今後ほとんど必要のない文字の束をずっと保管し続けていました。
今回の処分は過去の自分が成しえなかった憧れも一緒に手放すことになるのかなー、なんて思っています。 
 
 
捨てる前にパラパラめくってみて、宝塚に夢中になる直前の「ハマりそうで怖い…」には笑ってしまったけれど(直後ばっちりハマりました)。昔は昔。
もう当時の詳細は残っていないし覚えていないけれど、その頃を通って今の私がいます。
今後も過去に囚われすぎることなく、未来に目を向けて自分をアップデートできたらいいなと思います。