ゆるかきスト

思いついたこととか写真とか。すっきりした暮らしに憧れ中

才能って。

自分の才能ってなんだろうな、とよく考えます。

 

(奇跡的に)物事を褒められても卑屈になってしまったり、何やっても駄目だなーって思ってしまったり。

私にしか出来ないことなんてさしてないよなぁ、と。

 

そんな時に読んだnoteの記事で、

 

私は平凡で、さしたる才能もない

 

というような内容を書かれていた方の文章がまぁ上手くて!

いや十分才能あるやんか!!

とつっこんでしまったのですが(しかもプロフィールによるとライターの方だった)

 

案外才能ってそんなものなのかもしれません。

自分が好きで続けていることが、周りにとっては才能と捉えてくれているのか。

自分では気が付かず、平凡だと思い込んでいるものが。

 

 

もしかしたら私にも才能、あるのかなー。

 

ちょっとは自信を持ってもいいのかな、と思った出来事でした。

シールでいいです

たとえば、ちょっとした小物を買ったとき

コンビニでデミカップの飲み物を買ったとき

「シールでいいです~」

って、言ってしまうことってありませんか?

私は言いがちです。袋に入れるほどでもないし、実際シールで十分だし。


昔、バイトでレジを打っていたことがあります。
袋を手に取り、広げて品物を詰める。
一連の動作にたいした労力は使わないけれど、テープカッターから引き出したテープを貼る方が楽だし、小さな商品に袋を使わなくて良いんだから「シールでいいです」と言われたら「ありがとうございます」っていう声が自然に出ていました。

 

でも、最近ふと思いました。

店員さんによっては、シールを貼るという行為に袋詰めと同じくらいの労力を割いているかもしれない。
ぺたぺたするシールに触りたくないとか、実はテープカッターがはちゃめちゃに切れにくいとかあるかもしれないし、そもそも「で」なんてシールに失礼なんじゃないか。

自分でも何を言っているのかよくわからないんだけど、要するに「で」という助詞に、今日の献立のアイデアを募った時の「簡単なもので良い」とか相談事のあとの「それでいいんちゃう?(知らんけど)」に似た無責任さを感じてしまったのです。


私はあくまでも"袋に入れてもらうほどの大きさのものを買ったわけではないので""シールを貼ってもらえれば十分"だと自分で判断したうえで、シールを貼ってもらうことを希望している。
だから、本来であれば"袋よりもシールがいい"のであって「シールお願いします」「シール貼っておいてください」が正しいのではないか……?

 

ひとしきり悶々とした後で小さい買い物をしたので試しに「シールお願いします~」って言ってみました。

結果、めちゃくちゃすっきりした。これからもそうやって言うようにしよう。

 

我ながらめんどくさい思考だなと思いつつ、気が付いたのでメモがてら。

あれもこれも新鮮に感じる

周辺の店舗が少しずつ開き始めました。

シャッターが閉まったままだった地下街も元に戻ろうとしているのを感じます。

多くの店舗が営業を再開するべく、今日は朝のうちから動き出していました。

 

地下街の景色が明るい。

長らく流れていなかった音楽が流れていて、喫茶店からはコーヒーの香りが漂ってくる。

百貨店の中で人が慌ただしく動いているのが見える。

 

どれもちょっとしたことばかりで、今まで目にも留めていなかったのにこんなにうれしく感じるなんて。

不便な非日常は人の感情を豊かにでもするんですかね。

当たり前のことに感謝しよう、っていう言葉が身に沁みます。

 

まだまだ元通りにはほど遠いけれど、大好きな宝塚が復活するまで頑張って経済を回しながら精一杯生きよう。

舞台の再開はいつの日か……。

 

綺麗なバラと可憐なカスミソウ

カスミソウが臭いってご存じでしたか?

 

私は最近になって初めて知りました。

匂うではなく臭うの方。くさい方。アンモニアみたいな臭いがします。

部屋に花を飾ることが増えてから、なんか臭いな?と思いたどり着いたのがカスミソウ。

カスミソウにこんなにキツい臭いがあるなんて知らなかった。

カスミソウの匂いは、トイレや汗、加齢臭などに例えられることが多いほど、独特な臭気を放っています。カスミソウが含有している、メチル酢酸という脂肪酸が原因です。このメチル酢酸を分泌することで、カスミソウは独特の匂いを醸し出しているのです。

https://greensnap.jp/category1/flower/botany/381/growth 

香りじゃなくてもはや臭気って書かれちゃってるし。

今まで知らなかったのは、たまたま消臭されたものに当たっていたのかな。

 

部屋の換気をしていないと部屋に臭いがこもるレベルには強烈です。

先日元気なカスミソウを仕入れてしまい、就寝以外の在宅時は常に窓を開け放っています。

起きたら即換気。狭い部屋なので早急に対処しないと部屋の治安が危ない。

 

綺麗なバラにはとげがあるし可憐なカスミソウは臭いがきつい。

 

美しいものにも短所はあるけれど、見方を変えれば美しいよ!ということでさっさとドライフラワーにして飾ろうと思います。


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ハートがハートで軽くなる

メッセージカードだとか手紙とか、軽い一言を添えることが昔から苦手です。

 

ありきたりな内容になってしまうことが気になって、渡すギリギリまでずっと手元に置いてしまったり(その割に大したメッセージをかけていない)複数人で添えるメッセージがあっさり無個性に仕上がってしまったり。

今もそれは変わらずで、ちょっとした文章のやりとりにも時間がかかります。

しかも、顔の見えないやりとりの中で

 

ここで文章を崩すと馴れ馴れしいのでは? とか

変に長く書いたらダルいと思われそう! とか

 

余計な気を回した結果、工夫も可愛げもない文章が生まれてしまいがち。

 

あっさりした中にも可愛げとか柔らかさを伝えたい。

 

顔文字の扱いも難しいんですよね。スマホのキーボードで変換できる顔文字って古臭いか妙にキラキラしたやつの二択みたいなとこがあるし。

絵文字はそもそも使えない媒体があるし。

 

先日久しぶりにフリマアプリを利用して、とある出品者の方とやり取りをしました。

お名前に顔文字がついていて可愛いなと思っていたら、購入したあとのメッセージもなんだか雰囲気が柔らかい。

内容はテンプレのようにあっさりしているけれど、出品者さんのメッセージの末尾には『ハートマーク』が付いていたのです。

 

『この度はご購入いただきありがとうございます!

商品到着までしばらくお待ちください♡(仮)』

 

語尾にハートマークが付くと文章が可愛くなるのは小さいころからよく知っています。

でも、普段なら事務的に終えてしまうフリマアプリでのやりとりにハートマークが付いたことは私の中ではちょっとした衝撃で、あっ可愛い!これだけで文章がぐっと柔らかい!とスマホを片手にひとり驚いていたのでした。

大げさだけど本当に目からうろこが落ちた気分。

 

文章にさらっとハートマークを付けられる、それ、羨ましい!

 

この手のメッセージで記号や顔文字を使うことの是非は置いておいて、自分が思うよりも案外簡単に柔らかさって伝えられるのかもしれない。

下手に考えすぎてガチガチにならなくても、少々くだけていても気にされないのかもしれません。

 

1,2往復のメッセージのやりとりだったけど、少しだけ重りが取れた気持ちになりました。


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古い居場所と新しい風

昨年引越しをしました。

 

引越し先は隣町で、前の家から歩いても10分程度の近所。

通勤の風景は多少変わったものの、馴染みのある場所なので慣れるのには時間はかかりませんでした。

 

引越しから半年。

前の家(マンションの一室)には既に買い手が着いたらしい。母が元お隣さんから聞いたところによると、押し入れで隔てられていた両隣の部屋がひとつにまとまる工事もされたとか。

へー、と思いつつも近くを通る用事もないためそのまま日々が過ぎていきました。

 

そして今日。

先日クリーニングに出した服を受取ついでに、ふと思い立ってマンションの敷地を通り過ぎてみることに(マンションとクリーニング屋さんがめちゃくちゃ近いんです)

 

以前の家に洗濯物がかかっているのが見えました。

パッと見はすごく見慣れた風景。

でもあそこにかかっている洗濯物はひとつとして我が家のものではないし、インターホンを鳴らせば知らない人が出てくる。

今まで引越しに対して感傷的になった事はなかったけれど、自分が過ごした空間が誰かの生活の場に完全に描き変わっているのを見て初めて不思議な気持ちになりました。

リフォームによって使っていた部屋の面影もきっとなくなっているし。

 

外見は似ているのに全くの別物なんてパラレルワールドか何かみたい。

 

以前住んでいた者だけどもうここに居場所は無いですよ。

誰かの生活の風景を垣間見た事で改めて自覚する事となりました。

 

長く暮らした前の家にありがとう。

少しだけ感傷に浸った午後でした。

違いを知ってしまった

引きこもりいぇーい!って思っていましたが考えを改めます。

 

この4月30日と5月1日の2日間が在宅勤務となりまして、強制引きこもり状態に。

職務的に難しいため、普段は時短及び時差出勤という形を取っています。

 

在宅勤務。

勤務中という名目上ふらりと散歩するわけにもいかず、かといって家でできる作業もなく、堂々と森に旅立つのも気が引けて一日中そわそわ。

本を読んだり急に踏み台昇降を始めたり、ベランダで日を浴びたり……。

一日目は何故かわざわざ職場用の服に着替えて謎の気合いを入れていたこともあり、すっかり気疲れしてしまいました。

 

二日目、気を抜いて挑もうと部屋着勤務(仮)。

本を読み、踏み台を踏み、ベランダで日を浴びる。

……駄目だ疲れる。家にいるだけなのに疲れる。引きこもり大好きな私でもこれはダメだ!!

 

適当に出かける選択肢がある中で引きこもりを選択するのと、出かけられず家にいなければならないのとではえらい違いです。

あと、何かしようにも家の環境で勤務って(システム的に不可能であるのは置いておいて)めちゃくちゃ難しいのでは!?

 

二日目は早くも鬱々としてしまい、勤務時間の終了と共にたまらず家を飛び出して近所をぐるりと散歩しました。

外を歩くというのがこれほど気分転換になるとは……。

 

初めての在宅勤務はあらゆる意味で私にはハードでした。

何事も経験とは言いますが、できることなら在宅勤務はやりたくない~。

 

もっと思い切って休日っぽく過ごしても構わなかったのかな。

謎多き2日間の在宅勤務でした。