人の断捨離、私の断捨離
昨日上げた記事を職場のPCで確認したら少々ページが重かったです。
写真載せすぎ注意ですね。あと今にして思えば、写真を小出しにしたらネタも長持ちしたかもしれない……!
写真ブロガーさんも、写真を一枚に絞って発表していらっしゃる方が多いような。
誰かに見ていただきたくて大量に出すのは控えて、まず落ち着いて厳選してみようと思います。
さて、ブログを拝見していると稀に飛び込んでくる断捨離日記。
私も以前は近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』に倣って大量に身の回りの物を処分したことがありました。
当時の超物持ちから一般的くらいには減らせたと思います。
主なスペースが机回りだけだというのにゴミ袋がいくつ出ただろう。あの頃は本当にモノに囲まれて生活していました。
自分の基準でいる・いらないを判断してとにかく手放していった私の断捨離。
未だに手放したいものはたくさんありますし、思い立っては断捨離モードになって片づけを決行したりしています。
ミニマリストに憧れてはいるものの、私の場合は好きなものなら持っていてもいいかなという緩い(または似非)ミニマルスタイル。
好きなものは好きなもので所持していてオッケー。ただそれが必要に足りすぎているなと感じたら取捨選択して手放しています。
他人の好きと自分の好きは全くの別物。
しっかり理解したうえで断捨離記事を拝見しているのですが、稀に私の好きなジャンルのものがスパッと断捨離されているのを拝見してしまい複雑な気持ちになることがあります。
断捨離や片づけの記事は本当に気持ちよくて好きなのに、自分の好きなものに関してのみ非常に揺れる!
そういえば私のゴミ袋を覗いて「えっこれ捨てるの?まだ使えるのに!」なんて母によく言われたことを思い出しました。
自分が本当に物を手放したいときは下手に他人を入れてはいけない。
自分が夢中で片づけをしているときに痛いほど感じたことなのに、人の片づけを見て逆の立場で同じことを感じているなんて勝手なものです。
人様の断捨離記事は横目でちらっと見るくらいがちょうど良いのかもしれません。
目指すはそれぞれの理想形。じっくり拝見するのは完成形。
私は私の求める理想に向かって、次の片づけに思いを馳せます。
片付けたい場所が尽きない……。